頑固な子供

頑固で思い出したのが、小学生の頃に通信簿に先生に書かれたこと。「一度嫌と言ったら絶対にいうことを聞かない子だ」と。頑固だった。ま、この場合はいい意味での頑固というよりは、目上の人の言うことを聞かないきかん気の強い子供だとネガティブに思われていたということだ。

人の言いなりになるのが嫌とか、思った通りにならないと機嫌が悪くなったりとかいうと、わがままな性格で可愛くない子供をイメージしがち。自分はそんな子供だったのか。

ぼんやり覚えているのが、その「嫌と言った」ことにクレヨンの色が関係していたようで、欲しい色がなかったか誰かに取られたかなんかそんか状況なのにそこの部分が表面化しないまま作業を続けなければならなかったから嫌だった。欲しい色がないモヤモヤ感のまま言われたことをするのが嫌だった。でもそれがはっきり言語化できなかったのだろう。で、「絶対に嫌!」と怒りになってしまった。なんかそんな感じの出来事だった。これって、子供は言語能力がまだ発達していないからありがちな事。でも、この「言語化できないで怒りになってしまう」パターンは大人になってからも長年続いた。


では視点を変えて、スピリチュアル的に見るとすべての出来事には意味があるから、「一度嫌と言ったら絶対にいうことを聞かない」経験の意味はなんだったのか考えてみるとどうかな。小学生の頃の出来事を今でも覚えているのには、やはり意味があって、これは自分の人生のテーマの一つに違いない。「言語化できない」ところが問題で、はっきり気持ちを言えて周りの人が自分を理解してくれていれば、きっと問題はなかったはずだ。スピリチュアル的に見ると、これは自分の人生のテーマが見える出来事だったのだ。小学生でそこまで理解できなくて、同じような「言語化できないで怒りになってしまう」パターンが長年続いてやっとそれが人生のテーマの一つなんだと気付いた。

「言語化できないで怒りになってしまう」状況を変えるには、言語化すればいい。思い切って言ってみて、怒らずに。あの青色のクレヨンを使いたかったのだけれど、それがないのでこの絵は続けられないんです、と。結果は思ったより全然良かったりする。いい言葉にして出すと、いいエネルギーが流れる。怒りのような波動の低いエネルギーではなく。色の妥協を許さない芸術感覚の優れた子なんだねと思われるかも、なんてね。

見方を変えると重い持ちが軽くなる。ほんと、解釈の仕方で同じ出来事でも全然違う色に見えてくる。

Previous
Previous

選択の仕方とハイヤーセルフ

Next
Next

頑固でいることと柔軟性と