神との対話1

1995年5月に出版されたこの本、日本語版も1997年に出版されて、頭の片隅で「この本いつか読まなくちゃ」と思っているうちに25年がたった。1995年4月に出産をしてからは、子育てと仕事が最優先、20年前からは購入した家の支払い、5年前からは子供の学費のためと、黙々と会社員生活を続けてきた。

今がその時、この本を読む時が来たのだ。「読まなくちゃ」ではなく、自然に読みたくなった、と言ったほうが正解。

購入したのは日本語の文庫版。もう文庫になっているのか。読み終わる頃には、本に付箋がいっぱいついている。最後の方で、最初の質問に神が答えるところで涙が止まらなくなった。以下がその部分。

あなたが本当にしたいことを、どんどんしなさい!ほかのことをしてはいけない。もう、あまり時間はない。生活のためにしたくもないことをして、人生の時間をむだにしようなどと、どうして考えるのか?そんな人生が何だと言うのか?そんなのは生きているのではなく死んでいるのだ!

真の秩序のなかでは、幸せになるために何かをするのではない。幸せだから、何かをする。共感するために何かをするのではなく、共感しているから、優しい行動をとる。高い意識をもったひとの場合には、魂の決定が先で、そのあとに身体の行動がくる。

あなたがたには楽しむ権利がある。子供があろうとなかろうと、配偶者がいようといまいと、楽しみを求めなさい!楽しみを見いだしなさい!

あなたのライフワークは、「自分が何者であるか」を宣言することである。そうでなければ、どうしてライフワークなのか?あなたは、何かをしなければならないと思っているのか?

しなければならないことは何もない。

「どんな犠牲を払ってでも、自分の幸福を捨ててでも、家族を支える男」があなたであるなら、自分の仕事を愛しなさい。なぜなら、仕事が自己の生きた表現になるから。

「責任を果たすためにいやな職業についている女性」があなたであるなら、その職業を愛して、愛して、愛しなさい。それがあなたの自己イメージをしっかりと支えてくれるから。誰でも、自分がなぜ、何をしているかを理解すれば、何でも愛することができる。誰も、自分がしたくないことはしない。

「どんな犠牲を払ってでも、自分の幸福を捨ててでも、家族を支える」もやってきた。自分の仕事を愛します。仕事が私の生きた表現だから。
「責任を果たすためにいやな掃除洗濯皿洗いをする」もやってきた。家事をすることを愛して、愛します。なぜ家事をするか、それは家族と自分のために他ならず、でも、自分がしたくない時は、し・な・い。しなければならないことは何もないから。と自分に言うとスッキリ気分良くなりました。

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